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正倉院宝物と古代のデザイナーたち|天平人は日本独自のデザインを体現していた!?


螺鈿紫檀五絃琵琶[らでんしたんごげんびわ]北倉29(左)背面
楓蘇芳染螺鈿槽琵琶[かえですおうぞめらでんそうびわ]南倉101(右)背面
引用:北村昭斎 著『正倉院宝物の螺鈿技法に関する知見』宮内庁2008

正倉院宝物には、二一点の螺鈿工芸品が存在する。螺鈿とは、ヤコウガイなどの貝の殻を文様の形に整え、器物の表面を装飾する技法であり、鏡、箱、楽器、遊戯具などに精緻に施されている。螺鈿は木地、玳瑁地、漆地、樹脂地などに加工され、貝類以外にも琥珀、トルコ石、青金石などが材料として使用され、8世紀における最高の技術と意匠が駆使されている。正倉院宝物は、西域で制作されシルクロードを経て伝来したもの、唐や新羅で制作され伝来したもの、日本で制作されたものに分類されるが、本稿では、螺鈿装飾が施された唐製及び日本製の宝物を挙げ、海外からの影響と日本的特色などについて考察する。

初めに、正倉院宝物は先人達の不屈の努力により、1200年以上に渡り、今日まで継承されてきた世界でも類例のない貴重な文物である。文献上の記録や破損した土中品などではなく、ほぼ天平時代の状態のまま現存することを考慮すると、日本の工芸史を語る上では決して欠かすことができない。そこで、まず正倉院宝物成立における時代背景について述べるが、正倉院宝物は756年、聖武天皇の七七忌に光明皇后がその遺品などを東大寺に奉献したことを発端とする。しかし、特筆すべきは宝物の数や精緻な工芸技だけでなく、そのわずか150年程前の第一回遣隋使では、当時の中国(随)との貿易交渉は失敗し、文明後進国として烙印を押されていた日本が、シルクロードの東の終着点として世界の文化圏から成る宝物が集まるまでの国に進化したことである。現代のような情報メディアが皆無である古代人の環境を考慮すると、驚愕の事実である。

宝物の存在は、日本が唐を始めとした海外の諸外国から一目置かれるまでに飛躍的な発展を遂げたことを証明しているのではないだろうか。厩戸皇子(聖徳太子)と蘇我馬子らの白鳳時代から聖武天皇を主とする国際都市平城京の繁栄までの日本は、諸外国の文化をむさぼるように急速に吸収し、律令制による天皇を中心とした中央集権的官僚制国家を着々と築いていた。天平文化に見られる正倉院宝物とは、その時代の象徴ともいうべきものだと考える。

そして、こうした天平文化の特色は宝物の意匠にも現れている。この時代までの日本は模倣によって様式や技術を修得し、そこから徐々に和様化させてきた。大宝律令も唐の永徽律令や永徽律疏を藍本とし、平城京も長安をモデルにして日本に適応させている。それではここで、唐製として伝わる螺鈿紫檀五絃琵琶[らでんしたんごげんびわ]、玳瑁螺鈿八角箱[たいまいらでんはっかくばこ]、日本製として伝わる楓蘇芳染螺鈿槽琵琶[かえですおうぞめらでんそうびわ]、螺鈿箱[らでんばこ]を挙げ、具体的に螺鈿工芸品を比較する。


玳瑁螺鈿八角箱[たいまいらでんはっかくばこ]中倉146 第19号(左)
螺鈿箱[らでんばこ]中倉88(右)
引用:北村昭斎 著『正倉院宝物の螺鈿技法に関する知見』宮内庁2008

まず一目瞭然なのは装飾範囲の差異であり、細かく見ると文様の種類や材質の違いが分かる。豪華絢爛に下地を埋め付くすような唐製に対し、日本製は余白とのバランスを考慮した控えめな装飾である。もっと分かりやすい例に、国家珍宝帳記載の唐製の平螺鈿背八角鏡があるが、これは枠以外を完全に装飾で埋め尽くしており、大花文、側花文、花文、葉文、連珠文、鳥文などで表し、樹脂地には白や淡青のトルコ石、ラピスラズリを鏤めている。五絃琵琶と同様に琥珀の下を赤く塗り、金泥などで花弁を描く伏せ彩色という技法が使われており、贅の限りを尽くした珍宝である。

唐製の螺鈿にこのような豪華な装飾が施されている理由は、まさしく中華思想の表れであり、国家の権威を示したものではないだろうか。特に五絃琵琶は様々な様式や材質などから、世界の文化圏の縮図が現れているとも言われる。これに対し日本製の螺鈿琵琶や箱はどうだろうか。どちらが美しいと感じるかは、鑑賞者の美意識に委ねられるが、その意匠には日本人のしたたかさと和様化による美を感ぜずにはいられない。当時の日本は唐に敬意を称した模範の姿勢を一貫させており、例え工芸品であっても唐と張り合うような装飾を施し、むやみに刺激したりはしない。更に平城京は国際都市として機能していたわけだから、海外から多くの貴賓をもてなした筈である。その際には世界の宝物を並べ、そして日本の文物をも披露したことであろう。

宝物を通じ唐人には優越感を与え、他の諸国には大陸の文化を吸収しつつも限られた材料の中で相違工夫を凝らし、独自の文化を追求しようとする日本人の姿勢を感じとらせたのではないだろうか。高価な紫檀やヤコウガイでなく、楓やアワビを主に用い表面に唐絵を描いた楓蘇芳染螺鈿槽琵琶や漆黒の螺鈿箱からは、こうした意図が読み取れる。特に螺鈿箱は唐人とは異なる美へのアプローチであり、装飾を黒艶で引き立てて明度対比させる技法は、むしろ控えめな装飾の方が一層効果的である。こうした手法で唐製にも劣らぬ妖艶な美を生み出し、和洋化を図ったことは賞賛に値する。

以上のように、正倉院宝物を例に海外からの影響と日本的特色などについて考察してみた。唐が滅亡した後の平安時代に、日本はやまと絵を始めとした国風文化の形成に励むが、その下地は紛れもなく唐や朝鮮半島からもたらされた利益によるものである。正倉院に見られる工芸品は純粋な美術品ではなく、外交道具として機能していた要素が強く、それらが宝物の意匠にも反映している。そして、我が国の工芸文化を飛躍的に向上させる役割も担ったのである。

【引用・参考文献】
米田雄介 著『正倉院の美術 見方と歴史』東京美術2002年
北村昭斎 著『正倉院宝物の螺鈿技法に関する知見』宮内庁2008
北啓 太 監修『正倉院の世界 (別冊太陽 日本のこころ) 』平凡社2006
奈良国立博物館 編集『第62回正倉院展目録』財団法人仏教美術協会2010
国立文化財機構 監修 成瀬正和著『日本の美術No.522 正倉院の宝飾鏡』2009

2011年10月某日

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