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近代ポスターの父
ジュール・シェレの生涯とその表現!

ジュール・シェレ
ジュール・シェレ(Jules Cheret 1836-1932)

19世紀のヨーロッパでは、新しい社会の大衆心理を捉えて、消費社会の夢と憧れを操作しうるメディア『ポスター』が登場した。これには多色石版(クロモトグラフィ)による印刷術が駆使され、街の壁面や柱などに広告媒体として掲示された。そして、フランスではポスター表現の素地を築き、後世に決定的な影響を与えた人物が存在した。石版画家として名声を博したジュール・シェレ(Jules Cheret 1836-1932)である。ここでは、近代ポスターの父とまで呼称されたジュール・シェレについて考察する。

初めに、シェレは1836年5月、パリの貧しい植字工職人の家で生まれた。7歳から13歳まで寄宿学校で教育を受け、この頃から独学でデッザンの才能を発揮していた。しかし、画家を志すことは貧しい家庭環境が許さず、実際に職を持つ段階になると、父親は石版職人の親方の元へシェレを年季奉公に出してしまうのである。十数年後、決して短くはない下積み時代を経て、シェレの非凡な才能を見抜いた化粧品製造業者のリメルの協力によってジュール・シェレ印刷所を開業(1866)した。しかし、生涯で1000点以上ものポスターを制作する土壌を築いたのは30代半ばからである。この点では、同じモダンの先駆者達であるウィリアム・モリス(モダンデザインの父)や、アルフレッド・スティーグリッツ(アメリカ近代写真の父)らの裕福な活動背景とは大きく異なる。


参考図版

しかし、シェレが彼らに劣らぬ先見性を持って時代を睨み、ベルエポック(世紀末芸術)の寵児となったのは、大衆目線からの洞察力に起因し、ポスターが人々を魅了するメディアとして成立することを確信していたからである。更に、ポスター制作は芸術性を備えはしても、商業デザインという経済行為であったため、シェレ自身を産業の成功者へと導いていったことも大きい。晩年は身体的な衰えもあり、装飾画や純粋芸術へと転換したが長年の功績が国内外で評価され、レジオン・ドヌール勲章など多くの勲章を受賞した。

次に、シェレのポスター表現には、どのような特徴があるのだろうか。ニース美術館学芸員のB・デブラバンデールは「色彩」と「動勢」をシェレ芸術の二つのコンセプトだと指摘する。『パントマイム』(1891)、『1894謝肉祭オペラ座』(1893)などは高彩度の多色表現により激しい視覚効果を誘い、『ヴァレンティノ舞踏場』(1869)、『ムーランルージュの舞踏会』(1889)などは、キャラクター達が画面から飛び出すような遠近感を形成し、舞踏会という華やかなイメージを大衆に親しみやすく伝えることに成功している。シェレのポスター表現は、概ね、鮮やかな色彩効果で注目させ、連続するキャラクターの運動性と空気遠近法により、立体感と画面の奥行きを誇張するものである。

こうした明確で視覚効果のある大きな掲示物が、街の壁面に登場した際のパリ大衆の驚きと感嘆は想像に難しくはない。しかし、シェレのタッチは19世紀の他の著名なポスター作家と比較すると画面の平面性や単一性が低く、後進世代のロートレック、スタンラン、ミュシャ、ボナール、オラジなどが取り入れたジャポニズムやアールヌーボーの影響は、さほど感じられない。シェレはフラゴナールやヴァトーのような、既にフランス社会に浸透しているロココの華やかなイメージを独自に解釈してポスターに落とし込み、広く大衆に親しまれることに成功したのだ。大衆のための表現、即ち直感的な分かりやすさを優先させたことが、結果的にポスター表現の差別化に繋がったのではないだろうか。この点は根っからの芸術肌であったロートレックとは対照的である。

最後に、シェレは生涯で1000点以上ものポスターを制作して世に送り出したが、なぜ、これほどの受注と生産を達成することができたのだろうか。これにはポスターが純粋芸術ではなく産業の流通を促進させるための有効的手段であり、その需要期と重なったことが大きく影響する。モダンデザインの概念には、均一性・普遍性・合理性などの要素が求められるが、シェレ作品にはこれらが満たされていたとも考えられる。

第一に、独自のタッチと世界観で大衆の訴求を促しており、依頼者側が完成をイメージしやすく品質の保証にも繋がったこと。第二に、『ラ・シェレッテ』と呼ばれた若く溌剌とした近代の日常性を感じさせる女性キャラクターを登場させ、あらゆる製品を幅広い層へ効果的に告知させるための手法として機能させたこと。第三は、設計と生産の合理性に関するが、シェレは1859年から66年にかけてロンドンで進歩の早いイギリスの多色石版印刷技術を習得し、自身の印刷所にもイギリス製の最新印刷機を導入している。従来のポスターは画家の描いた図版を職人が石版上に描いたのに対し、シェレは自らが石版画工でもあったため、他のポスター表現にはない複雑な表現を自身で操ることが可能であった。シェレはこのように、高品質なポスターを他より短い納期で安定供給したのである。

以上のように、ジュール・シェレについて考察してみた。シェレの成功と功績は、大衆に分かりやすい伝達情報の視覚化をポスター表現として成立させたことである。これらが人々の訴求を誘発して多くのポスター制作に繋がっていった。そして何よりポスターを芸術の域へ昇華させたのである。シェレがパリの壁面をキャンパスとして大衆へ芸術を解放したことは、モダンデザイン史上、突出した偉業だったのではないだろうか。後世の多くの著名な芸術家や文化人がこぞって、シェレを賞賛したのは必然であったのだ。

【参考文献】
柏木博/著『デザインの20世紀』日本放送出版協会1992
海野弘/著 『モダンデザイン全史』美術出版社2002
ジョン・バーニコート/著 布施一夫/訳 『ポスター芸術』洋販出版1994
大森達次/監修・翻訳『ジュールシェレ展』印象社1991
富田 章/監修『ロートレック展』毎日新聞社2007-2008

2011年10月某日

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