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グーテンベルク聖書からバウハウス叢書まで|近代印刷術(書物)は、文明に何をもたらしたのか!?

古代の文字の発明によって民族・地域などに固有の社会が形成され、15世紀中葉のグーテンベルグによる活版印刷術の発明が、宗教・道徳・学問・芸術などの精神的な文化、技術・機械の発達や社会制度の整備などの経済的・物質的な文化を革新させる起因となった。そして、これらがあらゆる側面から近代社会の礎となった。ここでは、経済的・物質的な所産による狭義の文化を『文明』と位置づけ、近代文明に書物が与えた影響を考察する。

グーテンベルク42行聖書
グーテンベルク『42行聖書』1455年前後
1500年末までに印刷された書物はインキュナビュラ(揺籃期本)と呼ばれ、
世界的に垂涎の価値を持つ。

初めに、現代人は様々なメディア(テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・書籍等)を利用し、情報の蒐集・蓄積・伝達・共有などによって社会生活を営んでいる。近代におけるメディアの情報発信は、活版印刷術によって大量に生産・消費された書物が発端である。しかし、これが文明という多義的な概念に、どのように反映されていったのだろうか。 文明には幾つかの構成要素が含まれていると考えられるが、ここでは理性(感性)・伝達・共有・反復・様式・時間の六つに分類してみる。まず、文明の原因となるAが起こる。Aは個人の理性や思考により「便利なもの」として認識される。これが他人に伝達されては共有されるという反復を繰り返す。その繰り返しの中で様式(規格・標準化・法令等)が確立され、文明的な完成度が高まっていく。そして様式化されたものが一定の時間を経過した後、文明としての地位を確立するのではないだろうか。

仮に、Aが芸術などの精神的な所産であれば、理性に加え、主観的な感性や情緒が優先されることもあるだろう。これに対し書物は、主にAの伝達と共有という最も重要な役割を担い、Aという情報と人の接点となって文明の構築を助長している。このように多くの知識が書物として、様々な領域の人に伝える有効な媒体として機能し、近代的観念の形成、認識の深化、宗教改革、民族・国民意識の浸透、個の確立などを効能させ、大きく近代化を牽引したのは疑いようのない事実である。しかし、断りを入れておくが、印刷術の誕生と書物の普及が近代文明を形成したなどとは強弁していない。近代とは、複雑な要素が絡み合って形成されたものであることを補足しておく。

ケルムスコットプレス
ウィリアム・モリス『ジェフリー・チョーサー著作集』1896年
モリスは自社印刷工房ケルムスコットプレスを開設し、53点66冊を出版した。
チョーサー著作集は、世界で最も美しい本と評価された。

次に、書物とは、その伝達性においてあらゆるメディアの基底にあるが、活版印刷術の基本的な功績として、共通言語の統一がある。現代においても新聞や書籍により、正しく言語を学習したり、また誤った使用を訂正することは、近代的な教育や学習環境が全くない限り誰にでもある。19世紀までは他に大量頒布が可能なメディアが存在しないため、その傾向は計り知れない。16世紀の宗教改革者であるM・ルターは、当時の活版印刷術を最大限に利用し、これまでラテン語が主流であった新約聖書、旧約聖書をドイツ語に翻訳した。このことは、ラテン語が読解できない大衆に聖書を読む機会を与えたばかりでなく、各地域の方言に分かれていたドイツ語の統一にも大きく貢献した。

また、イギリスにおいてもW・カクストンが、同時代の印刷業者がラテン語作品を出版していたのに対し、チョーサーの『カンタベリー物語』、トマス・マロリー卿の『アーサー王の死』といった15世紀までの主要な英文学作品や、当時ブルゴーニュの宮廷で人気のあった『トロイ戦史』などのフランス語から翻訳した英語書籍も多数出版した。ここでも各地域の方言に分かれていた英語が統一され、結果的に、やがて驚異的に発展する技術革新や世界的な市民革命への下準備がなされていたと考える。これは各地域がまとまって、政治や経済活動を行うために必要な国家という強固なコミュニティーの形成に不可欠なものである。

ウィリアムカクストン
ウィリアム・カクストン『ポリクロニコン』1785年
カクストンは、イギリスで英語の書物を最初に出版した。

最後に、近代とは複製と大量生産を背景とした時代である。こうした産業の機械化による利益は衣食住を大きく変貌させ、人々の暮らしに影響を与えた。明治時代における日本の大学講義録の出版は、新しい時代の大衆への向学心の波及を睨んだ大学教育(学問)の解放であるが、ドイツのワイマール国立バウハウスでは講義録の域を越え、デザインの近代化への徹底姿勢を書物の出版を通じて現していた。我々がモダン・デザイン史を辿る時、常にバウハウスが参照されるのはなぜだろうか。

バウハウス
『バウハウス』誌1号 1928年
表紙デザイン、ヘルベルト・バイヤー

その理由は、クレー、ファイニンガー、グロピウス、イッテン、カンディンスキーらの非凡な教師達が総合芸術(デザイン)の理論化と実践を目指したバウハウスの記録が書物で豊富に揃っているからである。この『バウハウス叢書』は、教師の一人でもありエディトリアルデザインを画期的に発展させたモホリ=ナジが制作を担当し、今尚、世界中の多領域のエンジニアやデザイナー達に影響を与え続けている。バウハウスが隆盛を極めた1920年代はマシンエイジとも重なり、アメリカのフォーディズムも含め、グローバルな視点で規格化や生産の合理化が達成された頃である。

以上に述べたように、近代文明を支える多くの知識や技術は、書物を通じて広範囲に波及した。しかし、書を通じた情報は文明に必ずしも好影響を与えるとは限らず、様々な問題提起の要因にもなっている。産業化が大きく進んだ20世紀は、人間そのものによる地球破壊が懸念され、後世に大きな課題を残したままである。書物はもっとも手軽なものなので、世界規模での情報格差(デバイド)が生じないためにも、我々はその在り方について、もっと考えるべきではないだろうか。

2011年12月某日

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