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民藝運動|柳宗悦が提唱した民藝とは何か!?

民芸(FolkArt)とは、思想家の柳宗悦が提唱した民衆的工芸を表現した造語であり、仏教思想で解明した美の概念でもある。柳は、無名の工人達が生み出した日用雑器にこそ、用と美が一致した至高の美が存在すると考え、その真相を究明するために民芸運動を主導した。同志には、陶芸家の富本憲吉、河井寛次郎、バーナード・リーチ、濱田庄司、木工家の黒田辰秋、版画家の棟方志功、染織家の芹沢銈介などの賛同者がおり、柳と供に、この運動を大きく推進した。ここでは柳宗悦の思想を踏まえ、民芸についての見解を述べる。

初めに、民芸とは何か。その特徴を列挙すると、鑑賞よりも実用が重視されたもの(実用性)、無名の工人達によって造られたもの(無銘性)、複数の分業体制により多産されたもの(生産性)、民衆に配慮された廉価なもの(廉価性)、継続的な労働によって得られる熟練技術を伴うもの(労働性)、地域の風土や文化が造形に反映されたもの(地域性)、先人達の知識や技術の積み重ねが継承されたもの(伝統性)である。これらが包括された雑器が放つ造形美は、禅が唱える「無事」に一致するものであり、他力道によって成立するとされるのが本旨である。

工芸における他力とは、個の能力ではない自然や風土の恵み、そして伝統の力などである。1926年、柳は日本民芸美術館設立趣意書を発表し、相次ぐ調査と蒐集、民芸品の展覧、講演や著述等を積極的に行い、次第に賛同者を得ていった。こうした運動には、アールヌーボー、アールデコの強い影響を受けた華麗な美術工芸品の流行、マシンエイジを背景とした量産体制の確立(フォーディズム等)が、当時の世界的な潮流となりつつあったことも深く関係している。柳は民芸運動を通じ、失われて行く日本各地の手仕事の文化を憂い、安易なモダニズムに警鐘を鳴らしたのである。

このような民芸運動は、地方の無名職人達の精神的支柱となり、多くの伝統工芸の復興に一役買ったであろう。柳も含め、賛同者達の多くは文化功労者、人間国宝などに認定されており、著しく日本文化の発展に寄与したと考えられる。しかし、この柳の民芸思想には多くの批判もある。それは一体、どのようなものなのだろうか。まず、柳が理想としたギルド(協団)設立も含め、提唱された民芸の方針(在り方)を問うもの。そして、仏教思想を援用しているとはいえ、本来相対的であるはずの美を絶対的なものとして強弁していると誤解されていることである。これらは黒田辰秋、青田五良らによる上賀茂民藝協団の解散、富本憲吉の離脱、晩年の河井寛次郎の作風の変化が示唆しているのではないだろうか。

上賀茂民藝協団は、青田五良の結核による夭折もあるが、松原龍一は「高潔な理念のもと、修行僧のような暮らしの中で創作することの難しさ、美の追求と作家としての個の問題であろう」※1と述べ、ルパート・フォークナーは「特殊な作を作るよりも、普通の品を作る方が、工藝の本旨に適っていると云うことを自覚する必要がある、という柳の提唱に準拠することの不可能さを黒田と青田が感じていた」※2と指摘している。富本は個人作家としての正当性や優越性を強く信奉し、無名の工人達によって造られたものにのみ真の美があるとする柳の思想に強く反発し、河井は1940年代初頭から彫刻性を求めて大胆になり、用の美から解放されるような作風となった。

柳宗悦の民芸運動は、個人作家や美術工芸家からの強い反発を招いたものの、民芸運動による成果は正当に評価されるべきものである。しかし、富本のような観念を排除することも、工芸文化の停滞に繋がるのも事実である。これはドイツ工作連盟内で、製品の規格化を推進するヘルマン・ムテジウスに反発し、作家の芸術性や個性を主張したアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデの規格化論争にも通じる。デザインの規格化と民芸思想の差異はあれど、ヴァン・デ・ヴェルデと富本は芸術性や個を尊重している。ここで整理するが、民芸運動により、美術的工芸品だけでなく民衆的工芸品にも特有の価値があることが明確となった。私は、いずれを美しいと判断し、また必要とするかは、大衆の価値観に委ねることが重要であると考える。

昭和初期と現代では工芸を取り巻く環境は変化しており、特に情報化社会である現代は極めて特異的な時代である。コンピュータ制御によって機械は操作、管理され、その科学技術は著しく進歩している。例え、機械による大量生産品であっても、用と美を備えたものは多数ある。そして、工芸品を造る側、使用する側を含めた人々の生活や価値観も多様化しており、著名な作家が自らの工房で民芸を具現化しようという試みも、また受容されるべきであろう。有事の華やかさも無事の健やかさも、人が生み出した欠けがえのない美である。

以上のように、民芸に関する研究の成果をふまえ、民芸運動について論じてみた。有事も無事も現代には必要であり、あらゆる角度から大衆の選択に委ねるべきというのが持論である。また双方は対立するのではなく、切磋琢磨して互いを高め合うものだと考える。未来に工芸作家を目指そうとする若者達が、いずれの工芸道に進むのかを胸を張って選択できることは、とても有意義なことである。

【参考文献】
水尾比呂志 編集 『近代の美術・民芸』 至文堂
朝日新聞社/京都国立近代美術館/他 編集『生活と芸術ーアーツ&クラフツ展ウィリアム・モリスから民芸まで』朝日新聞社2008
※1 松原龍一(京都国立美術館主任研究員)同上 pp.198-201
※2 ルパート・フォークナー(ヴィクトリア&アルバート美術館東洋部門学芸員)同上 pp.202-8

2011年12月某日

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