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人間国宝|三代 山田常山と常滑焼急須

近代以降の産業化に伴い、マス・プロダクト(量産品)が市場を席巻し、これらは近代国家の経済成長を大きく牽引した。しかし、その反動としてイギリスを発端としたアーツアンドクラフツ運動や日本の民藝運動など、失われていく手仕事の文化を憂い、安易な近代化に警鐘を鳴らす動きも活発となった。ここでは、現代の日本において高度な伝統的技法を体現し、陶芸(常滑焼・急須)の重要無形文化財保持者(人間国宝)であった三代・山田常山を挙げ、自身を含めた現代人の生活と、その関わりについて考察する。

初めに、重要無形文化財保持者とは、製作工程において、重度に歴史上または芸術上価値の高い技法を有する個人や団体に対し、文化財保護法(昭和25年制定)によって国家が認定するものである。認定方式は、各個認定・総合認定・保持団体認定の三通りあり、山田常山の場合は、急須を作る際に不可欠な「わざ」の保持者であるとする各個認定である。それでは、常滑焼の急須とは、どのようなものなのだろうか。

常滑焼は愛知県常滑市を中心とした知多半島で生産される陶器である。その歴史は平安時代末期まで遡り、中世には日本六古窯の中でも最大規模を誇った一大窯業地であった。そして、現代の常滑焼を象徴するものの一つが朱泥急須であるが、幼少期を知多半島で過ごした私には馴染み深いものであった。今でも母親が朱色の急須でお茶を煎れていた仕草は鮮明に記憶しており、友人宅に遊びに行っても見かけることが少なくはなかった。

しかし、これらの急須は、山田常山のような熟練者が常滑で採掘、精製された朱泥土を轆轤(ろくろ)で回す伝統的手法によるものではない。石膏型にベンガラで着色した人工の液体状粘土を流し込み、型の内面に吸着させた粘土の膜を生地として焼く、鋳込み技法によるマス・プロダクト(量産品)であった。現在でも多くの家庭で使用されているものは、こうした大量生産品であると推察できる。

元来、泥物の源流は中国江蘇省宜興の明・清王朝の煎茶器であり、常滑では安政元年(1854年)に杉江壽門らが朱泥に成功したと伝わる。常滑は希少な朱泥原料の採掘地であったため、他の窯業地との差別化を図り、朱泥陶器に着眼したことは容易に想像できる。しかし、なぜ複雑な造形である急須が発展し、常滑焼の象徴となったのだろうか。それには大別すると三つの理由が段階的に考えられる。

第一に、お茶を飲む文化が一般庶民にも浸透し、江戸時代末期から明治時代の文人趣味、大正時代における風流文雅の愛玩(詩文を作り歌を詠む等、文学上の風流な道を愛でること)と尊重され、土瓶から急須へと大衆の需要が高まったこと。第二に、明治11年に中国の文人、金士恆が初代杉江寿門に、泥物の聖地である宣興窯(ぎこうよう)の朱泥茗壷(しゅでいめいこ)の技法を伝授し、宜興窯の古名品に劣らぬ急須と評判になり、一躍名声を博したこと。第三に、昭和30年代後半より、朱泥鋳込技法による量産体制が確立され、全国各地に朱泥急須の主流として常滑焼が普及したことである。 しかし、伝統的技法による急須も評価が高く、その性質上、鉄分を多分に含み熱の伝導性に優れ、量産品を遥かに凌ぐ機能として、お茶の愛飲家達の人気は高い。原価は量産品の数十倍に及ぶが、勿論、今でも常滑の窯元で製作されている。

三代常山は既に故人(2005年没)であるが、金士恆から直接手解きを受けた杉江寿門の系統にあたる希少な常滑の作家である。三代常山といえば、朱泥よりも岩肌のような質実剛健な「自然釉」が代表作として有名である。じっくり見ると、その愚直なまでの佇まいや王道感に圧倒されてしまう。まさに技や伝統や風土が融合した用の美の極みであろう。
(三代 山田常山の主要作品)

祖父初代山田常山、父二代常山の元で朱泥急須を中心とした伝統技法を修行し、真焼、朱泥、烏泥、梨皮泥等の多彩な素地の用法に応じ、水簸(すいひ)による坯土の調整から轆轤による繊細な成形工程を経て、焼成・仕上げに至る一貫制作のすべての工程に精通している。常山は、こうした希少かつ高度な技法を体得し体現できる保持者として人間国宝に認定された。没後は四代常山に意思と技術は引き継がれ、四代の息子山田想も新鋭の陶芸作家として活動し、伝統文化の継承に勤しんでいる。

しかし、この人間国宝制度そのものは評価できるが、予算枠や認定方式等、システムとして効果的に機能しているかは疑問も残る。更に根本的な問題として、このような制度の存在そのものが自国の文化意識が大きく希薄化している証拠である。これは若い世代だけでなく、社会全体が消費社会の情報やシステムに翻弄され、自国の文化を敬う精神を見失っているのではないだろうか。私自身を含め、なぜそのように少年時代を過ごさねばならなかったのか。この点は家族、地域社会、教育現場といった複数のコミュニティーからの支援や情報伝達が不可欠であり、21世紀の我が国の大きな課題である。

僭越ながら、このような主題を考える機会がなければ、重要無形文化財保持者との接点を模索したり、伝統文化の在り方について考えることはなかっただろう。しかし、伝統技術を保持する側も、国や自治体に保護されるだけではなく、自らも努力を怠ってはならない。(勿論、有松鳴海絞りなどの模範もある)伝統だけでは食べていけないのである。伝統性を維持しながら時代のニーズに応える。どうすれば可能なのか、常山のような作家を後世に輩出するためにも、我々は職人達と共に考えるべきではないだろうか。

【参考文献】
『人間国宝事典 工芸技術編』芸艸堂 増補新版 2002
『常滑焼茶器陶工名鑑』 常滑市商工課他1980

2012年01月某日

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