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近代家族の変容|なぜ、人間コミュニケーションは希薄化したのか!?

現代社会で暮らす日本人に「家族とは何か」を問うならば、善きも悪しきも、その多くが情緒的な観念を想起してしまうのではないだろうか。しかし、ここでの論旨は近代社会に組み込まれた最小単位の集団、システムとしての家族と、その変容である。家族の構造や論理には時代や社会を超えた普遍的な概念もあるが、その現れ方は時代や社会によって大きく異なるものである。これらを踏まえ、近代社会の家族について考察する。

初めに、家族とは「夫婦と子供から構成される小規模な集団である(雄山閣出版・人類学用語事典)」とするのが一般的な認識である。これは米国の文化人類学者G.P.マードックの核家族説が反映された結果である。しかし、核家族説は米国を中心とした先進産業諸国に数多く見られた現象に過ぎず、近年では「家族の普遍性の主張と家族概念を否定する懐疑論との、両論の間で揺れ動いていて、家族に関する定説といった形で記述することはできない(弘文堂・文化人類学事典)」とする認識が有力であり、家族とは定義不能なものである。世界には、様々な形式の家族が存在するのだ。かつて、フランスの社会学者クロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss 1908-2009)は、インセスト・タブー(親近相姦の禁忌)について検証したが、敢えて家族を何らかの形式で分類するならば、互いに性行為を持ってはならない集団というのが最低限の秩序と考えられる。

日本社会においても昨今の未婚、晩婚、離婚者の劇的な増加を踏まえ、核家族説に該当しない家族が台頭する可能性もある。2005年の国勢調査による生涯未婚率は15.96%であり、40年前の1965年の1.5%と比較すると10倍である。例えば、様々な理由から従来の結婚や家族の概念にとらわれない者同士が集団で生活し、各グループが家族を自認し、これらが社会現象にまで発展したらどうか。例え、法的根拠のない集団でも、かつての家族的な共同体として機能するならば、国家も異分子として排除するのではなく、積極的に社会に還元させる仕組みを整備することも考えられる。核家族がそうであったように、家族とは時代や社会の影響を受けて変容するものである。

次に、昨今、家庭内暴力・児童虐待・育児放棄・一家離散といった家族における負のキーワードがマスコミを賑わすようになった。これらの現象は、家族というシステムが正常に機能しなくなり、機能不全家族(家庭崩壊)へと陥ってしまった結果である。なぜ、このような状況になったのだろうか。これには大きく二つの作用が働いていると考える。家族に国民国家による資本制の導入が浸透し、家族を取り巻く環境は劇的に変化していった。公領域と私領域に分断され、家族のことは家族にしか分からないという私秘的集団となり、それが社会の連帯、統合の基礎となる規範や道徳を急速に弱体化させた。要は、家族環境の変化がフランスの社会学者エミール・デュルケム(Emile Durkheim 1858-1917)が『自殺論』で展開したアノミーを発生させ、外側から家族を守ろうとする作用が弱まったことである。

もう一つは、家族の内側で働く作用の問題である。精神分析学の創設者ジークムント・フロイト(Sigmund Freud 1856-1939)は、人間には欲望の塊である「エス」が無意識下に秘んでおり、それを自我が制御していると分析した。そして紆余曲折した結果、人間の欲望には性の欲動・死の欲動(欲動二元論)があると結論づけた。では自我はどのように形成されるのか。それは野生児研究が示唆するように、人間同士のコミュニケーション活動である。社会がアノミー状態となり、家族に危機的状況が発生しても家族内に隠蔽される。状況次第では家族内で消化できず、それが原因で正常なコミュニケーションが行われなくなることもあるだろう。このような家庭環境で育った子供達が心的障害を抱えたまま大人になり、新たな家庭を持ったらどうだろうか。果てしない欲望や残虐性を精神面から抑制する自我が、ますます機能しなくなり、負の連鎖から家庭崩壊が誘発される懸念がある。

こうして家族について考えると、現代の少子高齢化社会を踏まえ、健全な家族の未来像を社会全体で考える必要性を唱えたくなる。米国の社会心理学者クラウディア・ブラックは、機能不全家族には、話すな・感じるな・信頼するなという暗黙のルールが支配していると指摘する。問題について話し合ったり、感情を素直に表したり、人を信用したりするなということである。子供がこれを侵せば、虐待などの制裁が加えられる。これは極めて不条理な環境であり、正常な人格形成など到底無理であろう。解決の糸口としては、公私両方からの家族を取り巻くコミュニティーの強化であろう。公領域では学校、会社、自治体等、私領域では親族、友人、知人等のネットワークである。これは「何か問題はないか」と呼びかけるだけでも効果があるのではないだろうか。重要なのは些細なことでも、話せる範囲内で回りに相談することである。それがその後の当事者の行動や家族に大きく影響することもある。

以上のように、近代家族について述べてみた。日本に関しては近代化して後退したわけでもなく、多くの世帯が機能不全家族となったわけでもない。しかし、情報化により多様なメディアが存在するにも関わらず、人間コミュニケーションの希薄化は進行している。このまま未婚化や少子化が進行すれば、国家的危機に陥るだろう。国民一人一人の協調性が、まさに問われる時代である。

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【参考文献】
アンソニー・ギデンズ 著『社会学』第5版 而立書房 2009(共訳)
小幡正敏 著『社会学のまなざし』武蔵野美術大学出版局2004
渡辺直経 編『人類学用語事典』雄山閣出版1997
縮刷版『文化人類学事典』弘文堂1994
宮島喬 訳 エミール・デュルケム著『自殺論』中央公論社 1985
ジークムント・フロイト 著『精神分析学入門』五十一刷 新潮文庫2000

2011年10月某日

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